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ビーガニズム小史—— 動物の権利との関わりから | HUG
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ビーガニズム小史—— 動物の権利との関わりから

 ビーガニズムの起源がどこにあるかは、実は簡単ではない問題である。後述するように、ビーガンという概念は一九四四年につくられ、のちにビーガニズムの定義も明確化された。公式の定義によれば、ビーガニズムとは「衣食その他、あらゆる目的による動物の搾取と虐待を、現実的で可能なかぎり暮らしから一掃しようと努め、ひいては人間・動物・環境のために、動物を使わない代替選択肢の開発と利用を促す哲学と生き方」を指す1。簡単にいえば、ビーガニズムとは動物搾取への反対意志にもとづく非暴力の実践と運動を意味する。

 このような概念が生まれた背景には、長い歴史を持つ動物擁護と菜食の伝統があった。ビーガニズムが世に広まり急速に知名度を得つつあるいま、改めてその来歴を確かめることは、好事家(こうずか)の興味を満たすにとどまらず、この重要概念に込められた倫理思想を正しく理解し発展させるための助けとなるだろう。

 以下ではビーガニズムがイギリス発祥の概念であることを踏まえ、西洋文化圏における動物擁護と菜食の歴史を振り返りたい。動物擁護の思想はさまざまな種類に分かれるが、ビーガニズムの根幹をなすのは動物利用の部分的制約ではなく全廃を求める立場であり、これは一般に動物の権利の尊重という枠組みで語られる。そこで本稿でもとりわけ、動物の権利概念の発達を追いつつ、それとビーガニズムの関わりをみていくこととする。

動物擁護と菜食の伝統

 動物搾取に反対して菜食を励行する人々は古代から存在した。宗教の聖典にはしばしば動物への思いやりを説くくだりがみられ、旧約聖書にいたっては創世記の中で神が菜食を命じているほどであるから、紀元前の時代から少なくとも一部の人々がビーガニズムに通じる倫理観を持っていたことがうかがえる。

 古代ギリシャでは個人としての倫理的菜食者が記録に名を残し始めた。数学者のピタゴラスはみずからの教団をつくり、肉食の残虐性に反対する思想から信徒らに菜食を命じたと伝えられる。その哲学はローマの詩人オウィディウスの作品などを通して西洋世界に広く知られるようになった。哲学者のセネカはピタゴラスの思想を学び、肉食を浪費と残忍さの象徴とみて菜食生活を始めた2。著述家プルタルコスは著書の中で肉食を擁護する諸説に反論し、早くも今日の動物擁護論に近い見解を示している。「そなたらは蛇や豹やライオンを野蛮だというが、そなたらの行なうおぞましい屠殺(とさつ)に比べれば、獣たちが残忍さにおいて勝る余地はない。かれらの殺しは身を養うためであるのに対し、そなたらの殺しは美食を求めてのことにすぎないのだから3」という一節などは現在でも通用する。同じく哲学者であるテュロスのポルピュリオスは肉食反対論の著作をものし、動物が正義の範疇(はんちゅう)に含められるべき理由や、菜食と肉食の道徳的な違い、肉食と人間抑圧のつながりなど、重要な論点を数多く示している4。 

 倫理的菜食を擁護する議論はこのように、ギリシャ・ローマの時代にはすでにかなりの程度まで体系化されていた。もっとも、当時はまだ人間と他の動物の平等はおろか、人間同士の平等すらも少数派の思想にとどまっていたので、肉食批判はあくまで不必要な動物虐待や飽食に反対する観点から唱えられることが多かった。この傾向は種々の革命を経て西洋世界に民主主義の概念が根づくまで変わらないが、それまでにも動物の地位や扱われ方をめぐっては、文人らがさまざまな興味深い洞察を示している。例えば一七世紀の作家であり哲学者であるマーガレット・キャヴェンディッシュは、動物を機械とみなすルネ・デカルトの哲学に異を唱え、貴族の狩猟に筆誅を加え、狩猟批判を肉食と人間中心主義の批判へと発展させている。いわく、

[人(man)は]神がつくり寿(ことほ)いだ生きものらを損ない
(おの)が腹を墓場となして満たす
遊戯であやめし死せる亡骸(なきがら)どもにて
しかるに人はみずからを親切温厚とみる
あらゆる生きものらの中で最も残忍無法にもかかわらず
そしておごり高ぶり、己(おのれ)のみが生きるに値すると考える
我は神によって神の似姿につくられた、と
すべての生きものは我がためにのみつくられた
我はかれらの暴君たりうる、
5

社会正義としての動物擁護

 一八世紀後期までにヨーロッパでは権利や平等といった概念が大幅な発達をみせ、それにともなって動物擁護も社会正義の一環に含められだした。参政権の獲得のほか、女性の権利闘争に身を投じた第一波フェミニズムの主導者や参加者らは、奴隷解放などと並んで動物擁護にも目を向けた。メアリ・ウルストンクラフトは有名な著書『女性の権利の擁護』の中で、動物への配慮を教育に織り込むべきだと論じている6。著述家マーガレット・フラーは女性解放が非暴力社会の土台であると述べ、屠殺の廃絶と菜食の普及も非暴力構想の一環に含めた。作家のシャーロット・パーキンス・ギルマンは小説でビーガンのユートピア社会を描き、肉食社会の動物利用に疑問を投じている7。フェミニストは反動物実験運動でも大きな勢力をなしたが、中でもアンナ・キングスフォードは女性の学位取得が困難だった一九世紀に医学の学位を修めて動物実験に抗議したうえ、動物擁護と人権擁護の観点から肉食に反対し、食改革協会を設立するなど精力的な活動に奔走した8

 同じ頃に動物の権利をめぐる議論も目立ち始める。発明家ルイス・ゴンペルツは、動物倫理をめぐる対話篇を著し、すべての動物は自分の身体に関する優先的な決定権を持つと論じた9。フェミニストの作家ハリエット・ビーチャー・ストウは「物言わぬ動物たちの権利」と題するエッセイにて動物たちを蹂躙する人間の権利を問い、「被抑圧階級」たる動物たちの制度的な保護を訴えた10。図書館司書のエドワード・ニコルソンは、他者の自由を侵害しない範囲で万人の自由権を認める、というハーバート・スペンサーの哲学をもとに、動物の生命権と自由権を打ち立てた11。著述家ヘンリー・ソルトは、同じくスペンサーに依拠して動物の権利を定式化し、肉食にともなう広汎な社会問題も見据えつつ、より徹底した動物利用の廃絶を訴えた12

 こうして振り返ると、当時の論者らは、もっぱら動物を利用する人間の権利と、そのような加害を防ぐ動物の権利の対立に焦点を当ててきたことに気づく。動物たちにはみずからの自由を侵害されない権利があり、人間はそこへ踏み入る権利を持たない、との主張がその骨子をなしていた。

ビーガン協会の設立

 以上のような動物擁護と菜食の伝統を背景に、一九四四年、イギリスでビーガン協会が誕生する。一九四四年といえば第二次世界大戦の末期である。肉食社会の一般的な感覚では、戦争のさなかに菜食の団体を立ち上げるなど、なんとのんきなことかと思えるかもしれない。が、創立者たちの考えは違った。ビーガン協会の代表ドナルド・ワトソンによれば、あえてこの時期に団体を設立したのは、それが「戦争体験の良い解毒剤に思えた」のに加え、「あらゆる時代を通して続いているもう一つのホロコースト」との闘いを忘れないでおくためでもあったという13。つまり協会の創立者たちにとっては、動物利用と暴力、動物利用なしの生活と平和は、切り離せるものではなかった。

 この見方は今日のビーガンも共有している。畜産・屠殺産業の本質は、「食用」という差別カテゴリーに分類した動物たちの制度的な拘束・統制・大量虐殺に違いなく、これは「敵」に分類した人間を殲滅(せんめつ)する戦争の論理、「劣等民」に分類した人間を抑圧する奴隷制やホロコーストの論理と通じ合う。そもそもナチスの優生学や大量虐殺システムは動物の育種学や屠殺システムをもとにしてつくられたものだった14。そして周知の通り、差別者はいつの時代も特定の人間集団を動物的存在とみて貶めてきた。動物の価値や利害を人間のそれよりも軽んじる態度は、後に「種差別」と名づけられたが、人間差別と種差別、対人暴力と動物搾取は不可分の関係にある。してみればビーガン協会が戦時中につくられたのは象徴的な出来事だったといえるだろう。それはあらゆる差別・暴力・抑圧を根底からぬぐい去ろうとする企ての始まりだった。

 ビーガンは肉だけでなく乳や卵を含むすべての畜産物、さらには動物を使ったすべての娯楽や製品を拒む。このような実践者がベジタリアンから区別される新たな集団として認識されだした背景には、ベジタリアンという概念の堕落があった。「ベジタリアン」とはもともと、一切の動物性食品を口にしない倫理的菜食者、つまり今日でいうビーガンを指す言葉だった。ところがイギリスで一九世紀にベジタリアン協会が立ち上げられた時、「ベジタリアン」は肉を食べない人々の総称とされ、乳や卵の消費者をも含む概念となってしまった。しかし乳や卵は動物の生殖機能を搾取することで得られる産物にほかならない。そこで、それらの消費者をベジタリアンと称するのが適切か否かをめぐって数度の論争が起こり、結果、ベジタリアン協会は引き続き先の定義に則(のっと)り活動を続けるとの方針を示したため、すべての動物搾取に反対するベジタリアンたちは独自の協会、すなわちビーガン協会を立ち上げた。「ビーガン(vegan)」という名称は「ベジタリアン(vegetarian)」という言葉の頭と尾(vegとan)を組み合わせた造語であり、ベジタリアンの思想から生まれ、その思想が当然にして行き着く倫理を表す15

動物の権利の特集はこちら

動物の権利とビーガニズムの相乗的発展

 ビーガン協会の創立者たちは当初、自身らの思想が「人道主義」にもとづくと述べるのみで、直接「動物の権利」に言及してはいなかったが、それまでの歴史的文脈で使われてきた動物の権利概念に照らしても、搾取に反対する意図からすべての動物製品を拒むという姿勢をみても、ビーガニズムがその発端からして動物の権利擁護の体現であったことは間違いない。しかし動物の権利をめぐる議論が飛躍的な発展を遂げるのは、これより少し後のこととなる。

 転機は一九七五年に訪れた。この年、オーストラリアの哲学者ピーター・シンガーは、動物擁護論の古典となる著書『動物の解放』を発表する。シンガーは同様の者を同様に扱うという平等の原則にもとづき、快と苦を感じる存在は等しく利害を持つのだから等しく配慮されなければならないと論じた。人間の苦しみは人間の苦しみゆえに重要で、動物のそれは動物のそれゆえに軽んじてよい、という理屈は、理屈になっていないどころか差別である。その考え方は白人以外や男性以外の利害を不当に軽んじる人種差別や性差別と変わるところがない。しかるに現実を顧みれば、動物たちは人間の愚にもつかない快楽のために甚大な苦しみを負わされている。私たちの社会は種差別の社会であり、公正の理念に反する。恣意的な偏見や差別と闘う解放運動の哲学は、したがって動物たちの解放を要求する16

 シンガーの議論は多くの人々を揺さぶったが、実のところ、二〇世紀以降の動物の権利哲学は、シンガーに始まるのではなく、シンガーからの決別に始まる。なぜというに、彼の理論には重大な欠陥が含まれていたからである。『動物の解放』では苦しみへの配慮のみが争点となっている。動物の苦しみは人間の苦しみと同じように配慮されなければならない。が、動物を人間の用途に向けて利用すること自体は、少なくとも理論上は、当の動物に不利益を負わせるとは限らない。仮に動物が不幸を感じない環境に置かれ、痛みなく殺されるのであれば、それは道徳的不正にならない、というのがシンガーの結論だった。さらにあろうことか、シンガーは卵用の鶏を放牧する場合、幸せに暮らす鶏と卵を食べる人間の利益が、採卵業の過程で殺される鶏たちの不利益に勝ると示唆し、放牧卵の消費を許容してしまう(これは功利主義と呼ばれる彼の哲学的立場による)。

 新時代の動物の権利哲学は、このようなシンガーの理論を乗り越えるものとして形づくられた。その主唱者トム・レーガンによれば、動物たちは人間と同じく、みずからにとって意味のある生を生きている。他者にとって価値があろうとなかろうと、その存在は動物たち自身にとって価値がある。この自分という存在の価値を尊重されることは、主体的な生を生きるすべての者の権利でなければならない。動物たちを人間の資源や道具として扱うことは、かれらの存在価値を否定する行為、その生の意味を否定する行為となる。広い空間を与えようと、死にともなう苦しみをなくそうと、根本の不正は変わらない。動物の権利を尊重するならば、苦しみの有無や程度によらず、すべての動物利用に反対しなければならない。したがってビーガンになることは私たちの理想や努力目標ではなく、最低限の義務である17

 レーガンの哲学は彼自身ならびに法学者のゲイリー・フランシオンによって広められた。とりわけフランシオンは、動物の権利擁護を掲げながら週一肉なし生活や「人道的」畜産物の購入を促していた生半可な動物擁護団体を批判し、ビーガニズムの普及こそが動物の権利運動の基本でなければならないと唱えた18。ビーガニズムがここ数年で急速に広まったのは、ビーガン協会をはじめとする菜食関連組織の活動もさることながら、レーガン=フランシオン以降の動物の権利運動によるところが大きい。かつてフランシオンに批判された団体も、いまや人道的畜産物は存在しないことを訴え、人々にビーガン生活を促している。動物の権利擁護とビーガニズムは、かくして明確に一体となった。

 ビーガニズムというと、日本では新たな食の流行スタイルや健康法、あるいはよくてせいぜい環境負荷を減らす工夫の一つなどと解されがちである。もちろん、動物性食品を一掃する生活スタイルが人の健康改善や環境負荷の軽減に資することは多くの研究によって確かめられている。が、ビーガニズムの中核をなすのは動物搾取からの脱却、すなわち動物の権利擁護であることを忘れてはならない。それはこの星に暮らすすべての生命を思いやる非暴力の営み、人間中心主義を乗り越える正義である。ただし、人間中心主義からの脱却は人間をないがしろにすることを意味しない。動物産業は多大な環境破壊と人権侵害の元凶であり、一例として放牧地や飼料栽培地をつくるための森林伐採、そして土地収奪の問題がある。ビーガニズムはこうした世界危機への処方箋にもなる。現に多くのビーガンは人権擁護や環境配慮にも強い関心を抱き、さまざまな社会正義との連帯を育んできた。今日では資本主義や植民地主義への対抗、民主的な食のシステムの確立をも視野に入れた新潮流のビーガニズム論や、特権階層中心の主流ビーガニズムを批判するマイノリティからのビーガニズム運動も広がりをみせている。生活実践を通して私たちをとりまく抑圧と権力のシステムに挑むビーガニズムの視点は、社会正義のさらなる発展をめざすうえで、今後、一層の重要性を帯びていくに違いない。

*『HUG』では、全4回にわたり井上太一さんの連載をご紹介します!

1 The Vegan Society (n.d.) “Definition of veganism,” https://www.vegansociety.com/go-vegan/definition-veganism(2022年11月11日アクセス)。
2 Lucius Annaeus Seneca (1809) Ad Lucilium Epistolae Morales Volumen Secundum, Biponti: Typographia Societatis Bipontinae, pp136-7
3 Plutarch (1957) Moralia, Vol. XII, Cambridge: Loeb Classical Library, p.546.
4 Michael Griffin & Richard Sorabji ed., Gillian Clark trans. (2014) Porphyry: On Abstinence from Killing Animals, London: Bloomsbury.
5 Liza Blake ed. (2019) “The Hunting of the Hare,” Margaret Cavendish’s Poems and Fancies, https://library2.utm.utoronto.ca/poemsandfancies/2019/04/29/the-hunting-of-the-hare/(2022年11月11日アクセス)。
6 Mary Wollstonecraft (2004) A Vindication of the Rights of Woman, London: Penguin Classics.
7 Charlotte Perkins Gilman (2009) The Yellow Wall-Paper, Herland, and Selected Writings, New York: Penguin Classics.
8 Feminist Vegan Network (n.d.) “Vegan Feminist History,” https://veganfeministnetwork.com/vegan-feminist-history/(2022年11月7日アクセス)
9 Lewis Gompertz (1992) Moral Inquiries on the Situation of Man and of Brutes, Fontwell: Centaur Press.
10 Susan J. Pearson (2007) “‘The Inalienable Rights of the Beasts’: Organized Animal Protection and the Language of Rights in America, 1865-1900” Fourth Annual Law and Humanities Junior Scholars Workshop, University of Southern California Law School.
11 Edward Byron Nicholson (1879)The Rights of an Animal: A New Essay in Ethics, London: C. Kegan Paul & Co.
12 Henry Stephens Salt (1886) A Plea for Vegetarianism, and Other Essays, Manchester: Vegetarian SocietyおよびHenry Stephens Salt (1894) Animals’Rights: Considered in Relation to Social Progress, New York: Macmillan & Co.を参照。
13 The Vegan Society (1988) “Out of the Past,” The Vegan Summer 1988, p.11.
14 動物搾取とナチスの関係について詳しくはCharles Patterson (2002) Eternal Treblinka: Our Treatment of Animals and the Holocaust, New York: Lantern Books(チャールズ・パターソン/戸田 清[2007]『永遠の絶滅収容所――動物虐待とホロコースト』緑風出版)を参照。
15 The Vegan Society (2014) “Ripened by Human Determination: 70Years of The Vegan Society,” https://www.vegansociety.com/sites/default/files/uploads/Ripened%20by%20human%20determination.pdf(2022年11月11日アクセス)
16 Peter Singer (2009) Animal Liberation: The Definitive Classic of the Animal Movement, New York: Harper Collins Publishers.初版一九七五年(ピーター・シンガー/戸田清訳[2011]『動物の解放 改訂版』人文書院)。
17 Tom Regan (1983) The Case for Animal Rights, Berkeley: The University of California Press; Tom Regan (2004) The Case for Animal Rights: Updated with a New Preface, Berkeley: The University of California Press; Tom Regan (2003) Animal Rights, Human Wrongs : An Introduction to Moral Philosophy, Lanham, Rowman & Littlefield(トム・レーガン/井上太一[2022]『動物の権利・人間の不正――道徳哲学入門』緑風出版)を参照。
18 Gary Francione and Anna Charlton (2015) Animal Rights: The Abolitionist Approach, Exempla Press.

井上太一

いのうえ・たいち 翻訳家・執筆家。一九八四年生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業。人間中心主義を超える倫理を発展させるべく、関連する海外文献の紹介に従事。著書に『動物倫理の最前線――批判的動物研究とは何か』(人文書院)、翻訳書にデビッド・A・ナイバート『動物・人間・暴虐史〝飼い貶し〟の大罪、世界紛争と資本主義』(新評論)、ジェームズ・スタネスク『侵略者は誰か?――外来種・国境・排外主義』(以文社)、マーク・ホーソーン『ビーガンという生き方』(緑風出版)、ディネシュ・J・ワディウェル『現代思想からの動物論――戦争・主権・生政治』(人文書院)、ジェイシー・リース『肉食の終わり――非動物性食品システム実現へのロードマップ』(原書房)、トム・レーガン『動物の権利・人間の不正』(緑風出版)など多数。HP「ペンと非暴力」→https://vegan-translator.themedia.jp/